育てびと VOL.3|仙台| 存在していることが誰かの役に立っている 社会福祉法人 はらから福祉会 理事長 武田 元さん

VOL.3|仙台|

存在していることが誰かの役に立っている

社会福祉法人 はらから福祉会 理事長 武田 元さん

武田 元(たけだ はじめ) プロフィール

昭和17年生まれ。昭和41年宮城県立学校教員となり、高校8年間、肢体不自由養護学校13年間、知的障害養護学校10年間勤務。平成9年、54歳の時、社会福祉法人はらから福祉会「蔵王すずしろ」施設長となったのを機に教員を退職。平成18年より社会福祉法人はらから福祉会理事長。著書に『豆腐づくりは夢づくり』(きょうされん、2007年)。

はらからの歩み

スタートは宮城県立船岡養護学校(現、船岡支援学校

船岡養護学校は肢体不自由児の養護学校として1967年(昭和42年)に開校しました。3年後に高等部が設置され、1973年(昭和48年3月)、高等部の第1回卒業生が巣立っていきました。時代的には同年第4次中東戦争が起こり、第1次オイルショックが日本を襲い、日本経済は大打撃を受けました。その6年後にはイラン革命による第2次オイルショックが日本経済を直撃しました。このことが大きな要因になったと思われます。就職していた卒業生が何人も解雇されました。当時、地域に通所の福祉事業所は皆無でした。解雇イコール在宅です。

現在の船岡支援学校

同じころ船岡養護学校の教職員が中心になって卒業生や家族、地域の関係者に呼びかけて「柴田町障害児者の問題を話し合う会」活動を始めました。障害児者やその家族がどんな問題を抱えているのか、その問題にどう対処すればいいのか、等々話し合いの内容は多岐にわたりました。その中で焦点化されたのが「働くこと」についてでした。解雇され行き場がない卒業生をどうするか。無いならつくろう。オイルショックによる経済不況下で解雇された卒業生との出会いが働く場つくりの流れを一気に加速しました。

在宅障害者の実態調査をきっかけに

1979年(昭和54年)にスタートした「柴田町障害児者の問題を話し合う会」の活動は、話し合いと並行して町内在宅障害者の実態調査を行いました。その調査からは驚くべき実態が浮かび上がりました。それは身内に気兼ねしひっそりと生きる高齢障害者の生活でした。当事者が高齢になった場合、その家の実権は両親から兄弟に移ります、兄弟には配偶者がおります。甥や姪が生まれます。その家族の目が気になり卑屈なまでの遠慮に結び付いている例を目の当たりにしました。

この状況は今養護学校に在籍している児童生徒の将来の姿にダブりました。この状況を生み出している原因は何か、それは働いていないからだ、働く場をつくろう、船岡養護学校の教職員有志の結論でした。こうして無認可の「はらから共同作業所」が昭和58年4月に誕生しました。その後の運営も船岡養護学校の教職員有志が中心になりました。

はらから会の発足

「柴田町障害児者の問題を話し合う会」は機関紙「はらから」を発行していました。「はらから」は「同胞」、同じ母から生まれた兄弟姉妹という意味です。お互いに助け合おう、補い合おうという願いを「はらから」の4文字に込めました。記念すべき第1号の作業所の名称にも使い、その運営団体を「はらから会」と名付けました。はらから会は会費月額1000円の任意団体です。現在は約800名の会員数ですが、多いときには1000名を超えました。スタート時は会員が10名に満たない小さい団体でした。

現在、本部のある建物内には、地域生活支援センターとほっとスペース「そよ風」が入っている。

無認可作業所の経営

目の前にある問題、行き場のない卒業生をどうするか、その対応に取り組んだ結果無認可作業所を次々につくることになりました。10年間で4つもつくってしまいました。

名称の「はたまき」「はさま」「ざおう」は地名です。

事業所名 開所年 主な仕事の内容
1 はらから共同作業所 1983年(昭和58年) 陶器づくり
2 はたまき共同作業所 1990年(平成2年) 陶器づくり、野菜栽培
3 はさま共同作業所 1992年(平成4年) 陶器づくり
4 ざおう共同作業所 1993年(平成5年) 豆腐づくり

仕方がないことですが、今にして思えば浅はかでした。事業としてみれば販売のことを考えず、作りやすさを追求してしまいました。どんなにいいものをつくっても日常的に使用する皿や小鉢、花瓶等は壊れない限り同じ人が同じものを二度と買ってくれません。プロダクトアウトからマーケットインへという言葉を聞いたのは大分後になってからでした。無認可作業所3か所の仕事は陶器づくりでした。理由は次の3点でした。

  • 消費期限がない。壊れない限りいつまでも使える、売れる。
  • 粘土は焼かない限り失敗しても何度でも使える。
  • 障がいの重い人でもできる。

売れない陶器の穴埋めをしなければなりません。そこで取り組んだのが土曜市でした。毎週土曜日、事業所の玄関前で市を開きました。地域からいろんなもの、食品を中心として野菜から加工品まで品揃えしました。思いつきで並べた商品の中で何が売れ筋なのか、どのくらいの値段のものが買ってもらえるのか、等々、いろんなことが分かってきました。中でも目を引いたものが豆腐でした。賞味期限が短いこともあって最初は20丁、それも恐る恐る仕入れました。それが半年もすぎると軽ワゴン車に一杯積むまでになりました。

社会福祉法人はらから福祉会の設立認可

1996年(平成8年)8月、社会福祉法人の認可を受けました。はらから福祉会の誕生です。無認可作業所開所から15年後でした。1997年(平成9年)4月はらから福祉会の認可施設第1号として「蔵王すずしろ」が開所しました。

働くことにこだわる理由

人は何故働くのか

人は何故働くのでしょうか。一般的には次の3点です。

  • 生活のため
  • 社会的役割を果たすため
  • 自己実現のため

要はこのことに障害の有無、程度、種別は関係あるのでしょうか。障害が重いから働くのは無理だとなったら生活できなくなります。社会的役割を果たすことができなくなったら、存在意義がなくなる可能性があります。存在意義なくして自己実現はありません。故に働くことは人間にとって最も基本的な営みであると考えています。

大事なのは発想の転換です。障害が重いから、「働くことができるかどうか」「働くのは無理ではないか」と考えるのではなく、障害が重いけど「どうしたら働くことができるようになるか」というように視点を変えることが必要です。可能性の議論から方法論への議論です。人間は物資を消費して生活します。消費する物は生産しなければなりません。例外は無いのです。

働く力を育てる

働く意義から考えれば、いかにして働く力を育てるかです。はらからが考える方法は、1に作業工程の細分化であり、2にチーム化そして3に機械化です。1の細分化はどんなに難しい仕事であっても細分化すると必ず単純な作業工程があります。そこからスタートすればいいという考え方です。2のチーム化は細分化の発展形です。一人で全ての作業をやろうとすればできない、ということであればチームを組んで分担するやり方です。いろんな人がいていい、みんなで一つのことができるように力を合わせればいいという考え方です。3の機械化は障害からくる不便さを近代的な技術で補います。以上のことは当たり前と言ってしまえば当たり前のことです。

人は働くときに何を願うのでしょうか。どんな働き方をしたいと思うのでしょうか。はらからは次のように考えます。

  • 人は皆、やりがいのある仕事をしたいと思っている。
    人の役に立つ仕事をしたいと思っている。
  • その上で認めてほしいと思っている。特に大好きな人には。
  • 更にその上で自立した暮らしをしたいと思っている。

自立した暮らしとはすべて自分でできることではありません。できないことは援助してもらいながら自分で判断し、決定する生活です。そのために必要なのは暮らせる賃金です。障がいを理由にしたら仕事ができない原因はいくらでもあります。障害の有無、程度、種別に関係なく働く力を育てること、これが人間が生きるということだと思います。

3つの願いに応える

ではどうすれば育てることができるのでしょうか。それは前述した3つの願いに応えることです。みんなやりがいのある仕事をしたいと思っています。やりがいのある仕事とは多くの人が求めているものや人の役に立つものを提供することだと思います。換言すれば付加価値が高いものともいえます。高品質とも言います。難しい仕事と言えるかもしれません。

品質が高く難しい仕事を障がいの重い人ができるだろうか、作業工程の細分化、チーム化、機械化で対応できるだろうか、等々様々な疑問が生まれます。

そういう意味では、はらから福祉会はその途上です。日々四苦八苦しています。ただしゴールへ向かって悪戦苦闘しているということです。ゴールへ向かうことを諦めることはしません。

働くから傍楽へ

はたまき・手作りの里の利用者の皆さん。 ここでは、おからかりんとうなどのお菓子を製造している。

働くは字のごとく人が動くと書きます。人が知恵や体を動かして目的行動を行うことです。障害が重くなればなるほど働くことに限界が生じてきます。これは事実です。そこで働くことから傍楽への転換が必要となります。働くというと物を生産したり販売したりすることを連想しますが、役割を果たすこと、さらに誰かの役に立つことと考えを広げていけばその範囲は広がるはずです。極端な話ですが存在していることが誰かの役に立っているとしたら、そのことは傍を楽にしている、傍楽活動になっていると考えたいのです。

目標とする賃金

7万円を目標としています。その根拠はグループホームで暮らすとすれば、その生活費を7万円と想定しているからです。年金は余暇・趣味そしていざという時の蓄えです。7万円が自分で稼げるかどうかではなく、どうしたら7万円を稼ぐことができるか、関係者の力量が問われるところです。本来であれば一気に7万円に行きたいのですが、力不足でそうはいきません。段階的到達を考えています。

まずは貧困線越えです。

日本の平成24年の貧困線(全世帯の等価可処分所得の中央値の半分)は122万円です。(平成25年国民生活基礎調査より)。貧困線は必要最低限の生活水準を維持するために必要な収入を示す統計上の指標ですが、障害基礎年金2級と合わせると35000円の賃金があればクリアーできます。はらから福祉会の利用者総数約300名の平均賃金(工賃)は時給500円を超えました。

次は最低賃金越えです。平成28年、宮城県の最低賃金は時給726円です。1日5時間、1か月20日間仕事をすれば100時間になります。休まないで仕事をすれば月額72600円です。年金と併せれば約150000円になります。150000円あれば何とか親亡き後もグループホーム等で暮らしていけるのではないか、これがはらから福祉会の考え方です。

これまでの取り組みの成果

法人の理念を全職員が共有できるようになりました。

全職員、障がいの有無、程度、種別に関係なく下記の2つのことを目指しています。

目標:仕事の質と量及び賃金を保障する。賃金は2年後までに月額7万円にする。

目的:地域で当たり前の暮らしを実現できるようにする。

その結果、今では、利用者約300名の工賃月額が平均5万円に近づいてきました。

現実的には、私たちの現在の力量では対応が困難な方々もおります。しかし、障害者が抱える限界への挑戦という、はらからの理念に確信を持ち、研修・研究することが求められていると考えています。

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〈関連情報のお知らせ〉

武田元さんが講義される研修が横浜で開催されます。

【横浜 10/26】 誰もが「働く」ことが当たり前の社会へ ~障害の限界に挑む~

日時 2016年10 月26日(水) 18:30- 21:00

会場 さくらワークス関内 (JR関内駅より徒歩5分、みなとみらい線馬車道駅より徒歩5分)

定員 50名(先着順)

参加費 (一般)2,500円・(学生)1,000円(税込)

プログラム詳細はこちら http://yresearch-center.jp/shogai2016_2/

はらから福祉会(本部)

〒989-1601 柴田町船岡中央1-2-23

TEL.0224-58-3445/FAX.0224-54-4112

http://www.harakara.jp/