育てびと vol.5 肢体不自由児のための「医療的ケア」を考える

vol.5 肢体不自由児のための「医療的ケア」を考える

飯野 順子氏 プロフィール〉

日本女子大学文学部英文科卒・東京教育大学教育学部特殊教育学科卒

東京都養護学校歴任・東京都教育庁学務部義務教育心身障害教育課就学相談室・筑波大学 教授

第60回東京大会に全国のPTAや先生方をお迎えしたい!

竹内 飯野先生、この度は、60回目を迎える全国肢体不自由特別支援学校PTA・校長会合同研究大会にご協力頂くことになります。どうぞよろしくお願いいたします。

先生には、第1日目のシンポジウムでは、「生涯教育」をテーマにご登壇頂き、2日目の分科会では第4分科会の「進路」のアドバイザーをお願いしています。

先生は、長い間、特殊教育に携わられていらして、学校の先生方からはもちろん、医療や福祉の方々まで、幅広くつながりをお持ちで、皆さんから信頼をもたれていらっしゃいます。

本日は、肢P連のホームページにたくさんの方をお誘いしたいと思いまして、私に力を貸していただいて、東京大会への参加の呼びかけをして頂ける方・・・と思ったときに、以前から、お目にかかりたかった飯野先生にお願いしたいと思ったのです。よろしくお願いいたします。

飯野 そうですか。第60回、大きな節目を迎える研究大会ですね。私も、たくさんの方と出会い、お話しすることを楽しみにしています。

今日は、責任重大で、どんなお話をしたら良いかと、昨晩、いろいろ資料を集めたりしてお待ちしてました。また、今日は、私の現在の職場、「NPO法人地域ケアさぽーと研究所」に来ていただいてありがとうございます。ここは、医療ケアの必要な重症心身障害児・者に対して、社会参加・自立の機会を確保し、生活の質の向上を図る取り組みをおこなっています。

具体的には、在宅の重症児を訪問して「学ぶこと」を実現する「訪問カレッジ」や、重症心身障害児・者に質の高いサービスを提供する支援者を育成するために「重症児者のたんの吸引等医療的ケア支援者養成研修」などを行っています。壁に貼ってあるのは、訪問カレッジの皆さんです。いい写真でしょう?皆が、支援者と共に、良い学びをしているのですよ。

竹内 ホントですね。皆さん素敵な表情です。ずいぶん、いろいろの勉強をされているのですね。

飯野 そうなんですよ。約50年間、特別支援教育に携わってきましたが、今だからこそ、できること、しなくてはならないことがたくさんあり、5年後、支援者・ご家族・当事者、皆でチカラを合わせて頑張っているところです。

重度肢体不自由児だった妹の人生を不条理と感じた思春期の私

竹内 ところで、飯野先生は、どうして、特殊教育の道に進まれたのですか?

飯野 私は4人きょうだいの2番目に生まれました。実は私の末の妹が、重い肢体不自由児だったのです。父は医者でしたが、娘の重い障害は改善されるものではないと思っていて、訓練などもしていませんでした。思い出すのは、妹を溺愛していたこと。戦後間もない時期、美味しいカステラなどは妹に。それに、妹はお相撲が好きで、初代若乃花などがお気に入りでしたが、負けると大泣きするので大変です。

母は、そんな大変な子育てをしながらも愚痴ひとつ言わない優しい人でした。

当時、障害児を育てるという事は、今以上に好奇な目にさらされて、障害児を持つ母として情報もなく、孤独だったのではないかと思います。どんな思いで家族を、妹を支えていたのかと今でも思います。

私は、障害児がいる家族で、親の想いときょうだいの想いは違うと思います。

ある時、同じきょうだいでありながら、自分と妹の、将来にわたって障害を持ちながら生きる生き方の困難さを思い、あまりに隔たりがあることを、とても不条理だと感じたのです。

そう感じた頃、お転婆で、何事にも活発だった私は、内向化して、場面寡黙の子どもになりました。辛いだろう母をその手段もない中で、守りたいとも思いました。

きょうだいというのは、親と違うんですね、置かれている立場が違うんです。横並びで同列のつながり、私が障害を負ったかもしれないのです。

私が大好きだった学校も、妹は未就学で、何故?どうしたらいいのという想いが障害児教育に関心を向かわせたのだと思います。

竹内 そうなんですか。私は、中2の男子が肢体不自由で、兄が高3で、今、大学受験勉強中です。

兄弟は親と違って「横並びで同列のつながり」とうかがって、なるほどと思います。

現在も、弟と、家にいるときは一緒によくいる兄弟ですが、お兄ちゃんは、どんなふうに弟を思っているかしらと改めて思います。

親としては、兄には、障害のある弟がいることをプラスにするように成長してもらえたらと願っているのですが・・・。

60回の節目の東京大会 皆さんに持って欲しい参加の視点

飯野 今年の東京大会は、第60回だそうですね。

障害児教育は、本大会のテーマである「つなぐ・つなげる・つながる」まさに、そうして

60年を経てあるものだと思います。

今も、相模原のやまゆり園のような痛ましい事件があるなど、意識が後退したり、新たなビジョンであるインクルーシブ教育が謳われたり、まだまだ変化し続けています。それでも、是非これまでの歴史を動かし、歴史を切り開いてきた方々の熱い思いを理解し、今、私たちが、どのような立ち位置にいるのかを問い、未来に向けて歴史意識を持ちながら参加して欲しいです。

障害児教育の歴史を振り返る時、私もその現場にいて、対峙した3つの転換期(ターニングポイント)についてお話します。

< 就学猶予者0をめざした取り組み>

私が教員になった当時、就学猶予は、障害児にとっての等しく与えられるべき教育の場を奪っていました。入学も選抜によって許可され「教育が可能かどうか」で入学の可否が判断されます。

就学猶予の申請は、保護者が提出するのが決まりで、「本当は入学させたいのに・・・」と無念の思いで書類を出した保護者が沢山いました。

でも、その時、保護者の方々が流した涙のひと粒ひと粒が、大きな流れとなって「教育下限論」などの壁を乗り越えて、特殊教育の幅を広げることの実現につながったのです。それが「養護学校義務制」です。

<高等部の訪問教育の始まり>

現在、就学猶予で学校に行けなかった人が、訪問教育をうけているのをご存知ですか?特別支援教育の歴史の中で、高等部訪問教育は、制度面で大きな課題がありました。入学を希望してもその願いが叶わない方が多くいました。入学できないことをあきらめる一方で、「一日も早く実現してください」と何度も何度も涙を流して懇願されたこともあります。その声や願いが届き、平成9年に制度化されました。

< 学校での医療的ケア>

この問題についても、一番頑張ってきたのは保護者の皆さんでしょう。

でも、文部科学省も厚生労働省も時代を見越し、先見性をもって、学校で対応すべき医療的ケアについて、対応していたと思います。医療的ケアの課題は、平成元年頃に浮上してきました。当時「医療的ケアの必要な子どもは、病院に入院すべきで、教育は必要ない!」が大方でした。「教育下限論」の再来かと思いました。最も高い壁は「医師法」という法律の壁でした。

その厚くて高い壁を崩したのは、PTAの方々の動きでした。「いつまで待機すれば」という手記を作成し、保護者の精神的、物理的、心理的負担の実情を理解してもらうようにしていました。保護者を中心にして多くの方々とつながり、歴史を動かしたのです。

竹内 過去を振り返り、今を考えることは、とても大事ですよね。

3点を伺っても、どれだけ沢山の対話の後に実現されたことか、保護者だけでなく、学校・行政・医療機関など、様々な方のご苦労があったことが想像できます。

でも、残念ながら、保護者の中には、昔は昔・・・というような声も聞くことがあります。

「動く時がある」

飯野 障害児教育は、いつも課題山積です。新たな課題に向き合い、今から始める時にも、その始めた一歩から歴史のプロセスが始まります。

私は、新たな道をつくるプロセスについては、昔について知識として知る必要はないと思っています。そのプロセスの渦中にいた人の想い・熱意を知って、未来を創る原動力にすればよいのです。

竹内 そうですね。過去の人や組織の想いや熱意を知って、私達は、様々なことを学ぶのではないかと思います。学んだ私たちは、今、直面する問題を解決するチカラを持てているのかもしれませんね。私も、この役員になって、たくさんの方々に出会いましたし、知らなかった障害児教育の仕組みや障害児が育っていくための制度についても知りました。知ることの大事さを感じています。

飯野 事が成就するには「時」があります。「時」が必要です。動かなかったら0です。行動すれば、その積み重ねで課題が成就します。これまでの歴史がこのことを証明しています。

竹内 私も全肢Pの会長をさせて頂いて、3年目。

全国の肢体不自由特別支援学校やそのPTAがつながって、全ての会員に理解が及ぶことを目標にしています。

全国大会に参加できる人は、ごく一部だけれど、3年間のうちに、全国大会以外にも、全国で行われている大会で保護者や先生方が、共に素晴らしい研究や実践報告をされ、その地域でのつながりを深めています。また、連合会のホームページもリニューアルし、全国の保護者の方々がつながれる場もできています。研究大会の場はもちろんのこと、大いに私たちがつながれること、また、その先に可能性があることを伝えたいと思います。

飯野先生のお話を伺ってより一層、想いを強くしました。

学校と保護者の対話によって、成長する障害児教育

飯野 私は、外部専門家という立場で、とてもたくさんの授業を観ています。どの授業でも、子どもたちは生き生きとして素晴らしいし、感動があります。

「教師の専門性」とは何だろうと先生方は悩むのですが、子どもは先生が大好き。先生を信頼しています。子どもが学ぶ喜びを感じ、子どもの気付きや発見を促し、感動できる授業を行うことが大事です。どうしたら、それができるかといえば、「観察力」でしょう。子どもの喜びや感動を見つけられないとしたら、専門性が低いと言わざるを得ないでしょう。「専門性」は身近なことの中にあります。

竹内 保護者として授業を観るとき、自信のある先生とない先生がいて、自信がない先生の授業はそれ(自信のなさ)が子どもに伝わるんじゃないかとドキドキしちゃうこともあるんです。

飯野 「先生と一緒に遊びたい。学びたい。」という子どもの気持ちに共感して、自信をもって授業ができるように保護者の皆さんも先生を育てて欲しいと思うんです。先生の背中を押して欲しいのです。

先生も「子どもを知る」という点では、保護者から学ぼうとすることが大事です。先生は、子どもの背景や心理について情報を持っていますが、日常生活の具体的な情報を、保護者の方は持っていますので、小さなことであっても伝えるようにして下さい。

竹内 保護者もどうしたら良いかわからない。先生に、どう伝えたらいいかわからないことも多いのかもしれません。

飯野 学校教育は、保護者の期待と先生の実践が合致してこそ、価値が大きくなります。

それは、常につながっていないとできないことですよね。

竹内 そう思います。例えば、面談などの場では、先生が7、保護者が3程度の話す量のような気がします。先生のほうが学校の方針や、一方的な子どもの状況を話される。親の話を聞くことに重きがない気がするのです。本当は、家ではこうだけど、学校ではどうしている・・・といった話をしながら子どもを育てる方向性を一緒に探れるとよいのですが。

研究大会では、6分科会を設けていますが、分科会で共通する目的は、「子ども・保護者・先生」

がどのように連携してそれぞれのテーマの課題解決ができるかを考えることです。

飯野 質の高い授業にするために、各学校では授業改善を懸命に行っています。毎日の授業を通して、保護者の方々と共に、子どもの変容を見つめ、共感し考えることは、更にその質を高めることに役立つはずです。

竹内 そうですね。保護者は、学校の先生方の努力をあまり知りません。先生も、声高に、授業開発等様々な努力をされていることをおっしゃらないから、なおさら気づけないのです。

もっと伝えてくださったらいいなと思います。

飯野 それはいいですよね。教員だけじゃなくて、校長先生たちも、意識が高い方がたくさんいます。私は「シンプル・スリム・ストレート」を基調とした授業づくりが大切であると思っています。学ぶこと、そして学ぶ喜びを毎日積み重ねることによって、蓄積した力を発揮して、ある時、花開きます。そんな学びを皆で創って行くことが大事ですよね。

竹内 時々、親同士で話しているとき、我が子のことを「こんな成長があった!」なんていう話を聞くと勇気がでますし、可能性を感じます。

東京大会では、文部科学省の分藤先生に、これからの障害児教育について大きなラウンドで基調講演をして頂きますが、各分科会では、様々なテーマで、対話を大切に、大いに検討し、意義ある時間にしたいと思います。

飯野 今求められているのは、「主体的・対話的な深い学び」です。授業は子どもが主人公の舞台です。子どもたちの人生を豊かにすることは、肢体不自由の子どもたちに関わる人、皆の願いだと思います。子どもたちを常に観ている力を結集してよい時間にしましょう。

今、障害児教育の場でも話題の中心である医療的ケアについて

飯野 「子どもの心に寄り添う医療的ケア」をこれまモットーにしてきました。教育の場で、この理念を実践するには看護師との協働が重要になります。看護師が生きがいを感じて働ける学校であることが必要です。

医療的ケアは、それそのものが教育の働きかけであるのです。

例えば、たんの吸引時、①声をかけて行うことでコミュニケーション力をつける ②自分の体の状態やコンディションの良し悪しを確認する力をつけることです。

単に安全に吸引するのではなくて、学校で行う医療的ケアにどんな意味があるのか、教員との協働体制でどのように行ったらよいかを検討していくことが、重要になってくると思います。

医療的ケアの研修ができる事務所2階スペース

痰の吸引を人形を使って練習

竹内 医療的ケアを学校でもしてほしいという意見が、とても多くなっていますよね。そして、先生ではなくて、看護師に処置して欲しいという意見も多いです。

飯野 そうですね。医療が加速化し、超重症化している現在、保護者の皆さんの要求がエスカレートしてきているとの声も聞きます。

先生としては、どうして看護師が積極的に特別支援学校での医療的ケアを担ってくれないのかと思うことが多くなっているようですが、医療機関で行う医療的ケアと異なる環境で、医療的ケアをどうしたらできるのかを検討しなくてなならないのです。

竹内 2年前、全国大会が熊本で行われたとき、熊本の特別支援学校の医療的ケア体制では、病院と学校とのつながりがしっかりあり、看護師さんも安心して医療的ケアに臨まれている状況を観ました。なかなか、そういった仕組みは、自治体によっても異なるのですね。

飯野 そうですね。自治体によって、こういった制度や仕組みはずいぶん違うようです。

全国大会は全国各地から先生や保護者が集まります。また行政関係の方もいらっしゃいます。そういう意味では実態の様々知り、どうしたら良いか、まさに考えるチャンスです。

分科会の発表も大きな意義があります。平成10年だったでしょうか。福岡の大会で、医療的ケアが、肢体不自由児の「内面の主体形成に良い影響を及ぼしている」ことが発表されました。だからこそ、子どもに対する医療的ケアの教育的側面についても丁寧に整理して行う必要があることもおっしゃっていて、とても刺激を受けたことを思い出しました。それまでは、「法律に抵触している」「責任は誰がとるのか」など、大人の側の課題ばかりが語られている中で、多くのことに気づかされました。

障害者差別禁止法によっての肢体不自由児・者の進路への影響は?

飯野 新たな制度が誕生して、すごく変わったことがありますね。

例えば「放課後デイサービス」です。今や、特別支援学校の授業が終わると、放課後デイの送迎の車が駐車場にいっぱいになります。皆さんは、こういった現象をどう思っていますか?

子どもたちにとって、放課後居場所があればよいのか、もう少し議論が必要と思います。

基本的に、障害児・者は地域で生きていきます。そのために、障害児・者が地域で生活し続けられる地域をどう創るか考えることが大事だと思っています。

教育・医療・福祉・就労など、あらゆる分野の取り組みが地域の中で融合して、つなげ、つながり、適切に利用できるようにすることが大事です。

私は今、障害児・者への生涯教育を充実させたいと思っています。でも、まだまだ、始まったばかりの分野です。生涯教育というと趣味と捉えられて「ぜいたく」と言われることもありました。でも、どんな障害をもった人でも学び続けられる環境があることは重要なことです。

新制度に示されているようなインクルーシブ社会を目指すためには、まだ着手されていないことも多く、一足飛びに誰でも取り組める制度とはなりません。多くの人と対話も必要だし、調査や研究も積み重ねる必要があります。

竹内 親としても子どもの進路については切実です。

介護施設への入所しか選択肢がないのは、非常につらいです。自分の余暇や学びの場があったらと切実に思います。これまでは、「入れる施設を探す」ことが大事と思っていたけれど、違うのですね。どんな暮らしの場が必要なのか、考え、対話していく必要がありますね。

飯野 学齢期の子どもだけではなく、大人にも学びたい気持ちや興味関心はあり、学ぶ必要はあるのです。今、私が行っている「訪問カレッジ」では本人主体の生涯学習を目指しています。シンポジウムでは「訪問カレッジ」の発表をします。学びの中で興味が広がると、その人の生きる世界が広がります。人や場所、時間を限定しない幅の広い暮らしができます。それは、喜びのある生活です。

私の妹は、重度の障害者でしたが、1966年(昭和41年)にイタリアの会社が開発したオリベッテイという電動タイプライターで、絵を描けるようになったのです。

その時の妹の喜び、また、きょうだいとして、私の喜びは大きかったです。「横並びの負担感」が軽減されました。

人は、皆、自分の持つ力を発揮して生きることが必要です。

夢のある生活・豊かな人生のために・・・大きなテーマになりますが東京大会も、有意義な対話をしていきましょう。

竹内 本当にありがとうございました。東京大会、とても楽しみです。