《対談》 竹内PTA 会長×田村校長会 会長

《対談》 竹内PTA 会長×田村校長会 会長

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竹内 ふき子 PTA会長

栃木県小山市に生まれ育ち、足立区在住。教員・社会体育(健康運動指導士)・水泳個人指導員などを経て、現在PTA活動のため休職中。好きな事は、イベント立案・ひとりドライブ

田村 康二朗 校長

東京都立養護学校(肢体不自由)で教員生活を開始。H21特別支援学校長着任。併置校開設準備を経て現在校長として3校目。一貫して肢体不自由校に勤務(校長職8年目)趣味は「ブラタムラ」兼「ロケ地めぐり」

—新年度となりました。全国肢体不自由特別支援PTA連合会は、今年から新たな会長をお迎えしてのスタートとなります。まずは、今のお気持ちをお二人にお聞きしたいと思います。

竹内 私は、昨年の8月。熊本で開催された全国大会の時に行われた総会で、会長職を務めさせて頂くことになりました。それから半年。ようやく、自分の役割がわかってきたかなというとところです。東京都の単P城北のPTA会長から、突然、全国の会長の立場になったわけですから、私一人だけのチカラで、この歴史ある組織のことや、私の役割を理解することは、とても難しく、周りの人たちが、私を少しずつ会長になれるようにしてくださっていると思っています。それにしても、全国の会長の役割を正しく理解し、そのうえで、組織的に動いていくことは、簡単なことではないなと、ひしひしと実感しているところです。

田村 私は今年度、全国特別支援学校肢体不自由教育校長会会長に就任いたしました。併せて全P連の副会長もさせて頂くことになりました。肢体不自由支援学校校長会の会員校は約230校。ちなみに肢体不自由教育部門を設置している特別支援学校は約300校あります。校長会は、肢体不自由児教育の質の一層の充実を高めることが使命です。全国肢体不自由特別支援学校PTA連合会は、学校とPTAが繋がることによって、より一層、肢体不自由児教育の質を高めようとする組織と伺っていますので、両団体は信頼関係の固い絆で結ばれた友好協力団体同士ということになります。

ー竹内さんも田村先生も、現職に就かれる前にも、様々なお立場があり、肢体不自由児教育に関してお考えになったことがあると思いますが、お聞かせいただけますか?

田村 思い返せば遙か昭和の時代の終盤、東京都立の肢体不自由養護学校が私の教員人生の始まりです。同じ学校に同期の新規採用教員が10人近い大量採用期でした。当時、大学で障害児教育を学んだものの、重い障害のある子どもを前に、「どうやって指導したらよいのか?」、カルチャーショックに陥りました。そして夢中で現場経験をする中で可能性や希望を、また、時には専門性に欠ける教育の実態に怒りを感じながら、何とか質の高い教育を見出し、実行しなければと様々な研究会を巡っていました。その後、東京都教育委員会で働く機会を得て9年間勤めました。ちょうど特別支援教育移行期でしたので、様々なポジションを経験しました。東京都内の全就学相談を統括する立場も経験しました。その経験の中で、通学籍だけでなく障害や病状等により通学困難なことから在宅訪問学級の場で学ぶ児童生徒、学齢期に何らかの不慮の事故等で障害児となった児童生徒…、肢体不自由教育の中には、ひとくくりにはできない様々な状況を抱えた児童生徒とのその御家庭が多数あること実感しました。また、どのような状態の児童生徒であっても、豊かな人生を送る権利があり、その実現のためには特別支援学校の教育がよりよくあらねばならないと強く感じました。

教員の研修機関に異動後は「東京教師道場」を立ち上げる責任者もました。これは2年間の研修期間を通して、意欲と資質のある若手教員を、選りすぐりのベテラン教員が研究授業を通して徹底して鍛え上げる新しい仕組みでした。小・中・高の各教科の先生方、特別支援学校の各障害種別先生方併せて約900名が研鑽するこの選抜型研鑽制度は今も続いています。責任者として小・中・高の授業と共に視・聴・肢・知・病の各障害種別の研究授業にも多数出向きましたら、授業づくりの本質は通常の学校もシ肢体不自由教育も全く変わるものではないことを確信できました。実態把握、ねらい、発想、教材準備、そして子どもを伸ばしたい、学力を付けさせたいという指導者の熱意で良い授業ができることを目の当たりにしてきました。このように、様々なポジションから肢体不自由児教育に関わることが今の仕事を支えていると振り返っています。

竹内 現在、中学2年の男子の母です。1歳8か月の時に急性脳症になり、それまで、元気だった子どもが障害児となりました。家族は、高校の教員をする夫と、高校2年生の兄、それに主人の母の5人家族です。実は、私も高校の体育の教員でした。体育大学では水泳をしていました。同期の学生の中には、養護学校を就職先に選ぶ人もいましたが、私は、当時、まったく関心がありませんでした。それが、我子が障害児となり、子どもが小学校に入学する前の4年間考え続けました。「この子をどう育てたらいいのだろう?」と。

だから、小学校に入学してすぐにPTA活動に積極的に入りました。答が見つからないままだったことに、先生方、また、同じ障害を持つ子どもを育てる先輩の保護者の方々の話が聞きたかったのです。私のPTA生活は、常に、先生や保護者、また、時には子どもの教育や生活に関わる様々な人や組織との繋がりを求めてあるもののような気がします。

ー全国規模のPTA連合会で、PTAと学校の連携を密にしながら、行っている例として肢体不自由特別支援学校PTA連合会は、特異だと思うのですが、どうして、活動が継続的に行われているのでしょう?

田村 私が初めて勤務した肢体不自由養護学校では、教員も事務系職員も養護教員も、そして保護者もお昼タイムは給食介助に加わっていました。学習支援の他に移動・排せつ・食事・その他、様々な支援を行う必要があるにもかかわらず当時の学校現場ではマンパワーが常に不足していたのです。現在と比べると隔世の感があります。特に給食時が大変でした。こうした状況を何とかしようとPTAが熱心に各方面に働きかけてくださったことが功を奏して、教員定数の改善が進み、現在の恵まれた体制に至っています。こうした経過があるからこそ、今でも肢体不自由特別支援学校PTA連合会と全国特別支援学校肢体不自由教育校長会とが足並みをそろえて全肢P大会・関肢P大会を開催しています。二人三脚でやってきた歴史の積上げの証です。

竹内 我が家は息子が、ようやく中学2年になりますが、子育てをしてきたからこその実感は、子どもは親だけでは育たないということ。一人ひとりのこどもにとって、家庭があって、学校があって、地域があることが必要なんだと思うのです。近頃は、PTA活動をしていて、保護者の中には、子どものことを学校に任せきりになる人も見かけます。でも、それはしてはいけないこと。一人一人、当たり前だけど、子供は違う。障害の重さだけではなくて、性格も好みも、未来への願いもみんな違う。また、子どもの学習する学校も生活する地域も、みんな違う。だからこそ、どうやって子どもの成長を支援するのか、見守るのか、話し合っていく必要があるのだと思う。

ー平成25年、障害者権利条約に日本が批准して以来、障害者についての制度・政策が次々と誕生しています。これらの社会情勢を背景にして考えていらっしゃることがありますか?

田村 障害者差別解消法をはじめ様々な法律と制度が整いつつありますが、だからこそ、特別支援学校の存在意義が問われていると考えます。重い障害がある子どもも障害の無い子どもも障害の軽い子どもも等しく教育を受ける権利があります。当然の事です。このことは皆理解してくれますが、大事なのはその先。教育を受ける権利が実効性をもって保障されているかではないでしょうか。社会全体が障害のある子どもの教育を受ける必要性を理解し、実効性ある教育が実現できなければ、法律と制度は何の意味もなくなってしまいます。法律と制度の整備はあくまでも第1歩で、これからはそれらに「魂」を入れていくことが必要なのだと考えます。

竹内 そうですよね。大きな制度改革があっても、ふたを開けてみたら、「何も変わらないな」と思うことある。障害を持つ当事者や保護者も、動かなければならないのだと思う。実際こんなことに困っているとか、こんな協力をして欲しいとか、発信の必要性があるんだと思う。

田村 特別支援学校が、地域にどこまで開かれた学校であるかも大切なことです。全肢P連は更にそうした情報発信が全国レベルでできる組識です。ホームページができて離れている人同士皆が繋がりやすくなってきました。こうした資源をどんどん活用して、障害のある児童生徒・その保護者・特別支援学校だけではなく、一般の人達、民間企業、福祉や医療の関係者など、様々な人や組織が対話して、課題を発見・共有したり解決したりする場にしていきましょう。

ーインクルーシブ教育に関しても今、注目されていますが、これからの肢体不自由児特別支援学校の教育に、どのような変化があるでしょう。

田村 健常児も障害児も一緒。異なる障害も一緒に過ごせる共生の場や機会が必要な時もあります。一方で、障害児に対する専門性を高く持ち、障害種別や状態に応じた対応により児童童生徒の一層の成長を実現させることも必要です。私の勤める鹿本学園の中学部では、知的障害教育部門の生徒達と肢体不自由教育部門の生徒達が一緒に学ぶ作業学習の時間を設けています。保護者にそれを説明するとき、「障害種別ごとの教育も必要ですが、特別支援学校を卒業すれば、皆、同じ一つの社会で共に生活していくことになります。ですから、自立した生活を目指して積み上げていく専門教育の比重は年齢とともに高めていきます。と同時に共に生きる場を校内に設け、学ぶ体験をすることで、卒業後の社会にも備えていく必要があるのです。」と説明しています。

竹内 インクルーシブ教育ということを聞くようになって、保護者の間では「特別支援学校がなくなってしまう」という噂が広がったんです。子どもたちにとって、特別支援学校は必要。だから、それを訴えていかなければと思ったものです。でも、近頃、ようやく、インクルーシブ教育を正しく理解できるようになってきたように思います。でも、入学時の相談などは、保護者にとっては、インクルーシブ教育とはかけ離れているように感じるなあ。

ーそれはどんなことでですか?

竹内 例えば、地域の学校に保護者としては、子どもを入学させたいと思う。それを相談すると、たいていの場合、その状態では、地域の学校の受け入れは無理です。と言われてしまう。子どもに、学ぶ権利があり、その場を選ぶ権利もあったとしても、環境が整っていないという理由で拒否のみ。

田村 インクルーシブ教育は、地域にある通常の学校でも、特別支援学校でも実施可能な教育だと理解しています。学びの場によって学習プログラムが異なってきます。そうしたことを相談の場で、まだきちんと説明できていないのではないかと推測します。そういうことを伝え、保護者と学校が共に子どものことを共有し、考える機会を用意でき、適切な教育を用意できる相談援助の力を伸ばしていく必要があります。「合理的配慮」などについて調整を行う相談スタッフを育成することが今後の取組みでしょう。

竹内 地域の学校の良さ、支援学校の特徴など相談支援の力が広がっていくといいですね。

ーそれでは、最後に、今後の全国肢体不自由特別支援学校PTA連合会の取り組みについてお二人に抱負を伺いましょう。

竹内 本日、田村先生のお話も伺って、この連合会の歴史が、学校と保護者が共に生み出してきからこその今なんだということを改めて知りました。過去の肢体不自由の特別支援学校はマンパワーの問題が大きかった。でも、今の時代も、今だからこその課題がたくさんあります。特に、障害のある子どもたちが社会にでたとき、暮らしやすい地域社会かといえば、決してそうではないと思う。私たちは、暮らしやすい社会ってどんな社会なのか、ビジョンを持つことが大事なんじゃないかと思う。保護者同士、そんなことを語り合えるPTA組織に、まずは、各学校単位からしていく必要があるのだと思う。任意で入会するのだから、みんなが楽しくっていう風土を創ることも大事なんだと思う。

田村 特別支援学校のPTA活動をされている保護者の方々は、目がキラキラした人が沢山いらっしゃいます!それは自分が一生懸命やったことが、子どもの生活に役に立っている実感が持てるからなのではないのかと思います。

竹内 そうかもしれませんね。私たち保護者には、子どもの障害っていう共通の困難があって、その重さの差はあったとしても、悲しみや、何とかしたいっていう想いが、分かり合えているんだと思います。

田村 組織の活動で大事なことは、皆が頑張ったことの成果を共有することです。皆で確認し分かち合うことです。それをしていたら、次の頑張りに繋がっていきます。

竹内 そうですね。全国組織であることの良さをもっと、もっと活用したいです。研究大会も、全国津々浦々で開催されています。そういう場では、思う存分、語り合える場を創りたいです。対話の時間を沢山創ることで生まれる事って大きいように近頃特に感じています。知識や情報も大事だけど、2月の理事会の後、ワールドカフェで、短い時間でも皆で語りあった時、本当に可能性を感じたんです。

ー今回のトップ対談は、近く、HPに掲載しますが、全国肢体不自由特別支援学校PTA連合会HPへの期待など、何か、お考えはありますか?

竹内 特別支援学校のPTAの取り組みは、全国で行われていて、有意義なものも多いのではないかと思うのです。でも、残念ながら、ほとんどの活動が、保護者どうして共有できていない。もっと、自慢のPTA活動をHPを使って発信してもらって、良い活動を参考にできると良いと思います。他には、今年度から、本格的に行おうとしていますが、このHPが、肢体不自由の子供・保護者・学校だけのためのものではなく、広く社会に開かれたものにするために、肢体不自由の子どもたちに関係する企業などにも参加してもらい、企業紹介をするだけではなく、保護者グループと対談をしたり、商品開発の協力をしたりもできるのではないかと思っています。直近では、大王製紙さんと、おむつのことで関東の保護者8名とグループミーティングが予定されていて、この様子もHPに掲載します。ともかく、参加型で、HP上でいろいろな人や組織に出会えるといいなあと思っています。

田村 それはいいですね。企業と連携しての研究なども出来るのではないでしょうか。例えば肢体不自由の子供たちが使いやすい筆記用具や日常用品・保健衛生用品などを大手企業が出してくれたら嬉しいと思うことがよくあります。手ごろな価格で、品質が良く、何処にでも入手できる…ユニバーサルな商品を開発するために、使い勝手などの声を吸い上げたり、実用性を試してみたりする研究フィールドとして全肢Pの各御家庭が協力できるのではないでしょうか。協力過程では開発研究側企業も社会貢献の面からも社員のボランティア制度を活用して児童生徒に関わる支援者となるといった双方向の有意義なつながりだって作れるかもしれません。このように肢体不自由のある児童生徒達や保護者が様々な民間企業・事業所・団体等とWin-Winの関係が創れることも共生社会の一つの側面になれると考えます。全肢P連のHPに協働研究の受付ページなんか作ってもいいかもしれませんね。

竹内 日常限られた関係性の中で生活しがちだけど、HPならではの強みがあって、様々な出会いのチャンスや、継続的につながって、新しいものを生み出したり、課題を解決したりもできますよね。

田村 学校PTAの歴史を遡りますと、約120年前(明治30年頃)にアメリカ合衆国の一女性が保護者仲間のお友達と提唱したことから始まりました。その時の名称は「全米母親議会」と言っていたそうです。この議会(協議会的な組織)は、こども達が幼い時から働かされて教育を受ける権利が奪われないようにと制度化を求めたり、給食の質向上やスクールバスの整備を求めたりなど、子どもの育成に関わる様々なことについて要望するなどの運動をしていたそうです。日本での特別支援学校の活動と共通する部分が多数あります。PTA活動の元をたどれば、母親の子どもに対する願いが力となって時代を超えて繋がり、今に至っているのでしょう。

竹内 私自身、本日、田村先生とお話しすることができて、とても力が湧いてきました。田村先生のお考えも聴くことができて、これから、活動の中で、全国のPTAの皆さんと一緒にやっていきたいと思うことが広がった気がします。日常、頑張っている保護者の皆さんと、互いを褒め合って、認め合って、元気な活動をして行きたいと思います。本日はありがとうございました。

田村 頑張っていきましょう。こちらこそ、良い機会をありがとうございました。

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